100227 人情・河津桜

 分かりやすい地図 遠くに周防灘が  青空に溶け込む河津桜 

 今日のブログのタイトルは最初「豊前松江・河津桜」というのを考えていましたが、これだと地名が優先されて書く内容も、この桜はダレガドウシタとか花びらがピンクできれいだとかいうことが中心になってしまいそうである。ところが、きれいだと書いてしまったらあと書くことなくなってしまう。さてどうしたもんかと悩んでいたら1枚の写真に目が留まった。それを見ているうちにタイトルも次のように変わっていった。「人情・河津桜」と。まるで演歌の題名だが、これがこの日の私の心境にぴったりなのだ。

 水曜日、24日は穏やかに晴れ渡り気温もとうとう20℃を超えてしまった。こんな時に部屋の中にくすぶっているなんてもったいないと午後から休みを取って、前日の夕方、テレビで紹介された松江の静豊農園にあるという河津桜を見るために出かけた。その美しさは私の写真で感じ取ってください。とにかく爽やかな風が吹き抜ける山の上で、青い空を背景にピンクの花びらが映え、遠くには周防灘がかすんで見える。この桜は蜜柑農園を経営する秋山昇さん厚子さん夫妻の望郷の想いから生まれたのだという。

 農園の住所をナビに打ち込んで万全の準備で出発したのに、椎田道路を通ったのが運の尽き、山の下で「目的地周辺です。案内を終了します」と出てしまった。この時の音声の憎たらしいこと!それからが大変。塀に囲まれた狭い狭い道(それを私は「セド」と習ったが・・・・)で、車をこすらないように慎重にシンチョウに進める。それを過ぎると農道(というより畦道に近いものだった)に出てとうとう行き止まり。その隘路から何とか抜け出して、近くの人に聞くことにした。

 小さな電気屋さんで、さっきも同じ場所を聞きにきた人がいましたよと笑いながら言う。それで学習したのか、口で説明せずにそこにあった紙の裏側に書き始める。何のために行くのですかというので、昨日テレビで放映された桜があまりにきれいだったのでと答えると、みなさん、いい趣味をお持ちですね。近くにいる者のほうが知らないくらいです。楽しんでくださいと言っていただいた。

 地図に従っていったん10号線に出て中津向きに少し行くと、山道の入り口には大きく「河津桜」と書かれた看板が立っていた。たしか1月の「シュエ・タニ」でもナビに振り回されたことを書いたはずだ。しかし、今回は優しい人の心に触れられたし、きれいな桜を堪能することができたし、「言うこと無し!」。

100225 怖しい女・白蓮

     

 それにしても建物や庭の豪華さもけた外れだ。あの時代に水洗トイレがあったということにもあきれたが、節一つないという軒先の長い々鴨居(?)に驚く。しかし、そうした建物の素晴らしさだけでは人はなかなか呼べない。似たような建物は他にもたくさんあるからだ。なのに、どうしてここにはたくさんの人が集まるのか。たしかに今回は「ひな飾り」という素晴らしい目玉があったが、この時期、そうしたイベントはあちこちで行われて目新しくもない。それはやはり白蓮への関心の高さが生み出したものだろう。姦通罪(なんと時代錯誤な言葉か。とはいえ当時の男社会が作り出した大真面目な刑罰ではあった)が生きた時代に、自分の愛を貫いたその生き様が、中高年の、特に女性の心をつかんだからである。

 白蓮35歳の時、7歳年下の東大生の宮崎龍介と激しい恋に落ちる。「筑紫の女王」とまで呼ばれた白蓮はその夫、伊藤伝右衛門に向けて朝日新聞紙上に「公開絶縁状」をたたきつける。なんとまあ!それが世の中に与えた衝撃はどんなものだっただろうか。彼女のけた外れの生き方はとうていまねることはできないが、ことの是非を問わなければ、ひそかに拍手喝采をあげた人は当時多かったと思うし、ましてや今の中高年の女性は当然憧れを持っている。伝右衛門の立場には立ちたくないなー。

 その彼女が龍介にあてたラブレターの一節が展示されている。ラブレターという甘い言葉ではとうてい表せない内容であるが。よくも残っていたのだ。ここまで想われた龍介に同情したくなる。 

100224 日本一の座敷雛

     

 2月に入ってからインターネットがおかしくなりました。突然、そうパソコンでは徐々にという段階はありません。ある日突然、重くなりました。たとえば、「youtube」の動画が出てこず、やっと出ても数秒しか動かず、待って待ってまた3秒しか動かないということのくり返しでした。おかげでダウンロードしていた小椋佳の歌も中途半端で終わりました。それでCDを1枚作ろうと思っています。あきらめて私のブログの管理をしていただいている佐藤さんに、今週の日曜日(28日)に診てもらうようにしました。

 そして、21日。春のような陽気に誘われて飯塚市にある「旧伊藤伝右衛門邸」へ出かけました。日本一の規模を誇る座敷雛とテレビに出ていたからです。一昨年、文化の森大学(公民館の成人学級)で研修視察に行きました。その日は旧伊藤伝右衛門邸と嘉穂劇場が目的でした。もう二度と行くことはないなと思っていたのに、陽気とお雛様に誘われて・・・・。

 東谷のひな飾りもそれなりに良かったのですが、やはり規模も人形の素晴らしさも問題になりません。比べること自体が間違っているのかもしれませんが。東谷は東谷でそれなりに地域の方が心をこめて接待をしていたので、ひょっとしたらこちらの方が素晴らしいという人がいるかもしれません。

 20畳の座敷いっぱいに飾られた座敷雛。繰り広げられる平安絵巻の豪華さには圧倒されます。素晴らしいという感動とともに筑豊の炭鉱王と呼ばれた男のケタハズレの財力にも圧倒されます。ひな飾りでそう思わされるというのがなんともシャクな話です。それだけに次回の話が面白い。

100221 心に沁みます

長崎ランタンまつり 友達の送ってくれたもの

 友だちがランタンまつりの写真を送ってくれました。10枚ほどといってたのに届いたのは全部で15枚でした。これからこの写真を使わせてもらいます。来年は私も行くつもりです。

 本題に入る前に、「宝」というニックネームでコメントを下さった方に。あなたのコメントを承認するつもりでどうも消去してしまったようです。そんなつもりはないのですが、現実に消えています。全ては私の完全なミスです。どうかこれに懲りずにまたコメントを下さい。ずいぶん褒めてくれていたのだけはよく覚えています。

 ここまで書いて気がつきました。ひょっとしてあなたに「yoshie N」のCDをあげてないでしょうか。そうであるなら「宝」の意味が分かります。

 テレビから懐かしい歌が聞こえてきます。小椋佳の「ゆれるまなざし」です。これを初めて聞いたのは何年前だろう。この曲は、曲としてよりも資生堂のCMで覚えたような記憶がある。モデルはたしか「真行寺君枝」でした。こんなにきれいな人がこの世にいるのかと本気で思ったものです。外は雨、窓越しに見える彼女はレーバンのサングラスをつけたりはずしたり・・・。あれはなんだったんだろう。頭にぴったりと、帽子ではないし、マフラーでもないし。それが顔の美しさを際立たせていた。あの時彼女は16歳だったとか。そうでないとあの、この世のものとは思われないほどの美しさはとらえられなかったかもしれない。女性がその人生の中でもほんの一瞬だけ垣間見せる美しさを切り取ったCMだったのかもしれない。その映像に小椋佳の歌声が沁みていきます。

やわらく 心に沁みていきます     しなやかに 心に沁みていきます
静かに 心に沁みていきます      さみしく 心に沁みていきます
とまどうように 心に沁みていきます  波立つように 心に沁みていきます
ゆれるように 心に沁みていきます

100219 雑食系男子

通勤途中の道沿いで 7年前、大宰府の飛梅を

 久しぶりの暖かい日ざしに誘われて、ipodで好きな音楽を聴きながら汚れた車の洗車を始めた。洗車や草取りは嫌いではない。というより好きな方だ。自分が動いた分だけ結果が見えるのはうれしい。教育なんて結果のはっきりしない仕事についていたせいだろうか。だから、自分の車だけではなく、連れ合いの車まで洗ってあげる。苦にはならないが、さすがに2台ともなると疲れるし、翌日には身体の節々が悲鳴をあげる。

 用事で訪れた連れ合いの友だちが私のカッコを見て、先生は絶対に演歌なんか聞かないよね、といったそうである。そんなことはない。たしかに今聞いているのは「Baby Face」と「Yoshie N」のアルバムである。しかし、ipodの中には秋元順子や坂本冬美の曲も入っている。坂本冬美の「また君に恋してる」は大好きだ。吉田拓郎もあるしさだまさしもたくさん入っている。「氷雨」は名曲中の名曲だと思っているし、カラオケで歌うのは「氷雨」と「夢一夜」と「22才の別れ」である。ここには外国の歌など入る余地がない。つまり、今流行の言葉で言えば、音楽に関して私は「雑食系男子」である。

100216 ビストロ・ボラーユ

このすぐ後、カウンターもいっぱいになる

 1ヶ月以上もこの店に来ていない。できれば最低でも月1で来たい店である。気取らなくていいし、料理も美味しい。もちろん料理が美味しいかどうかが一番の決め手なんだが、もうひとつ「くつろげるか」もその店に行きたくなるための大きなポイントである。

 人から「いい店はないですか?」と聞かれることが多い。退職してからの方がこういう会話が多くなってきたようだ。時間が自由になり、まあそれなりの年金をもらっている年代である。そういう時、私は2軒のお店を紹介することにしている。1軒は行橋の住宅街の中にあるお店で「青い林檎」という。駅前にあった時からだからもう20年近くになっていると思う。ところが、その店には車で50分近くかかるので、それをいうとほとんどの人が「ちょっとね」としり込みをする。娘たちからも「遠すぎる!」と却下される。

 もう1軒が北口にある「ビストロ・ボラーユ」である。もうこのブログで紹介したのも3回目である。ここは家内の方がみんなに薦めている。それでも「あんなに薦めたのに私の名前を出してないのよ」と時々ぐちる。私のブログと同じだ。掲載する以上やはり見てほしいし、コメントがほしい。紹介する以上、やはりだれだれさんの紹介ですと言ってほしいのである。今日はコンサートに一緒に行った方を誘った。喜んでもらえたが、楽しく食事できたのでこちらの方も、すなおに「いい気分」だ。この食事がチョコの代わりよと言われたのが少し不満か。

100215 クラシック

      

 13日、宇佐の「ウサノピア」で、「若い芽を育てるハートフルコンサート」と題して日本・台湾音楽交流演奏会があった。お寺の娘さんが出演するとかで家内はお寺を通して、私はクォータインの店長さんに頼まれて券を購入する。もう一人、耶馬溪の、家内のお姉さん的存在の方と3人で出かける。あとで一緒に食事をすることになっているのでそれに釣られて出かけたところも多分にある。

 10日にはキム・ヨンジャのミニライブとこのところ音楽づいている。何度も言うがこれもブログのおかげである。ふだんだと言葉があとからあとからわいてくるのに、今回はその回路が遮断されている。音も楽しいし、演奏姿も楽しいのに言葉が出ない。やはり経験したことのない、興味のなかったことについて語ろうとすること自体、どだい無理な話だったのである。その中でも、一人の演奏家についてだけは書けそうだ。

 「許 恕藍」。「シュー・スーラン」と発音する。バイオリニスト。紹介の時、台湾の演奏家の先頭を歩く。素敵な女性だ。すごく背が高く見えたが、ほかの人と並ぶとそうでもない。スタイルが抜群なのと肌が白くてそれを強調したドレスというのがそう思わせているようだ。こういった話になってくるとやっと私らしくなってきたと自分でも思う。家内は年は分からんよというが、とにかく素敵だ。中ほどの席だったのに舞台の上の人の顔がよく分からない。「夜目、遠目・・・・」なのかもしれない。

100214 東の谷のひなまつり

  「東の谷のひなまつり」。なんと雛やかな(こんな言葉があったかな?)言葉か!本耶馬渓には東谷と西谷とがある。その東谷の専念寺というお寺で3年前から地域の人手作りの小さなひな祭りが始まった。第1回目に出かけた時には、いくつかの立派なひな壇が飾られていて、それこそ鄙びた山里の、ひなびた山寺に華やかな人形たちが色取りを添えて楽しかった。

 それが3回目ともなるとお寺のお庫裏に文字通りあふれんばかりのお雛様が飾られている。お接待の方(いい言葉だね)に聞くと、昨年から、うちの家にあるお雛様、箱に入ったままでかわいそうだからぜひ飾ってくさいと頼まれることが多くなったとか。

 そういえば我が家でも飾らなくなって何年だろう。押入れから出して、一つひとつ箱から取り出し飾るのはけっこう手間がかかる。それでも娘たちのいる間は喜ぶ顔が見たくて飾ってきた。それが成長するにつれて娘たちよりも飾られたお雛様の方が喜んでいるのではと思うようになった。嫁いで遠くに行ってしまった今では、連れ合いは陶器のおひなさまを玄関に飾っている。いろんな家でもおひな様が眠ったままになっているはずだ。それがこうしてたくさんの人に見てもらえたらどんなに喜んでいることか。

 「東の谷のひなまつり」。なんとやさしい響きの言葉であることよ。今年はこの言葉に誘われて専念寺まで出かけた。