101128 紅葉紀行1(柳坂曽根櫨並木)

   

 8時に佐藤さんと待ち合わせる。前回の彼岸花に付き合ってくれた私のパソコンの師匠である。書き出しも前回と同じになってしまった。前回は星野村がメインだったが、今回は永年の憧れだった「柳坂曽根のハゼ並木」。途中、吉井町を通ったが旧い建物が保存されていて風情がある。それもどこか特別に隔離されて残されているのではなく、ふだん多くの車が行きかう道路沿いにあるのがいい。こうした風景を残すためには、残すものへの愛着とそれを残そうとする強い意思に不便さに耐えようとする大勢のエネルギーの結集が必要になってくる。どこかの町には一番欠けているものだ。雛祭りにはぜひ出かけよう。

   
   

 ハゼ並木は見事なものだった。多くの見学者で賑わっていた。きれいに整備されていて「新・街路樹百景」に選ばれているとか。約200本の古木が続く様は見事である。ハゼの紅葉には「燃えるような」という形容詞がよく使われるが、山の中の1本のハゼが赤く色づいても目立つのに、200本となったら文字通り「息を呑む」景色となる。上手の方にはこうしたハゼ並木にぴったりの、というか、あまりにぴったり過ぎて違和感を覚えるほどのワラ屋根の家が残っている。建物に付随して水車らしきものまで見えるから念が入っている。

   
   

 唯一残念だったのが太陽である。予報では晴れだったのに、雲が切れ間なく通り過ぎる。このハゼの紅葉も青空の中に浮かんでいたらどんなに素晴らしかったことだろう。何度も空を仰ぎながらわずかな晴れ間を見つけるのに必死で、佐藤さんとため息ばかりついた。 

101126 卓球部同窓会 2

6時に始まった会も8時半にはお開きとなる。送迎用のマイクロがユメタウンまで送ってくれる。また来年の再会を約束してみんなと別れる。私は「あっちゃん」をホテルまで送ることにする。ふたりで夜の街に消えることをだれも冷やかしもしない。昔からこうだ。練習の後、よく二人で帰っていた。時には彼女の自転車に二人乗りで。その姿はけっこう有名だったが当たり前の景色だったのか、ほとんどうわさになったり冷やかされたりもなかった、と、記憶している。
彼女の家があった所は区画整理でほとんどの建物が取り壊されて、いったいどこに何があったのかも分からないほどだ。時間が経つとはそんなものだとは思いながら、自分が育ったところの景色が消えてしまうとはどんなことなんだろうと思ってしまう。立ち尽くす彼女の後ろ姿が小さく見えた。
途中、「フォーシーズン」というお店に寄る。昨年の30周年以来だから1年以上のご無沙汰だ。ここはカウンターの壁一面に洋酒が並べられている。以前マスターに聞いてびっくりしたことがあった。数は忘れたが、その数、千ではきかなかったと思う。1本として同じ物はありません、と言って(自慢して)いた。私たち以外にお客がいなかったので静かな時間を過すことができた。
ホテルまでの道、最後の学校で一緒に勤めた若い先生に出会った。もう遅くまでは飲めないんですよと嘆いていたのが可笑しかった。彼とは1年きりだったが、最後の年、いい出会いだったと懐かしく思う。

101125 卓球部同窓会1

   
   

 9回目の同窓会。今年は「知多のあっちゃん」が帰ってくるというのでみんなが楽しみにしていた。2年前、みんなに会いたいというので、急遽その時集まれる者だけで会を持つことにした。ところが、その本人が体調を壊してしまってその会もお流れになった。今回は私のブログに書いてくれたゲゲゲのヒロさんの「先輩が参加してくれると、みんなへの最高のプレゼントになると思うのですが・・・!」という言葉が決め手になって、今回の帰省になった。何度か中津に帰省しているそうだが、卓球部の仲間とは高校時代以来会っていない者がほとんどである。
 もうひとり、何年か前の会に参加して以来、都合でご無沙汰していた「なべちゃん」も今回参加してくれた。やはり新しい風が吹くとみんながウキウキしてくる。なんとか沢山の人に参加してもらいたいのだが、やはりそれぞれが様々な事情を抱えている。今回参加した人の中にも連れ合いを亡くした人、別れた人、家族の介護で忙しい人もいる。それを考えたら参加できたのは幸せな方である。体調を壊して自宅療養している者もいるし、全く音信不通になった者もいる。

 先ほども書いたが、参加できるのは幸せであり、だれもが幸せな思いを求めて参加しているはずである。そして、遠い遠い昔を懐かしむのである。あの時代に戻ればだれもが幸せになれるのである。ところが、ひとりだけ今までと雰囲気が違っていた。今ここにいない人に「あの人は嫌いだった。あの人のこういうところが嫌だった」と何度も繰り返すのである。その言葉を何度も聞かされてなんとも嫌な思いになってしまった。
 誰もがいろんな現実を抱えて生きている中で、唯一幸せ一色なのがこの会であったはずだし(少なくとも私には)、それを維持するために誰もが努力していると思っていた。その幸せをいとも簡単に壊されたのが、簡単に壊れたのが無性に腹立たしい。

101124 視察研修(二階堂美術館)

   

 二階堂といえばなんといっても焼酎である。大分には三大焼酎(私の造語)がある。米の耶馬美人とイモの「いいちこ」。それに麦の「二階堂」である。いいちこと二階堂はテレビのCMでもいい味を出している。好みで違うが私は二階堂の昭和の風景が好きだ。年度で違うが、共通しているのは「はじめてなのに、なぜか懐かしい」である。私は2007年の「文学のかけら編」でのナレーション「イエスとノー。/その二つの間には/何もないのだろうか・・・・」が今でも心に残っている。いいちこは「下町のナポレオン」というキャッチコピーで一世を風靡したが、最近ではCMに坂本冬美の「また君に恋してる」が使われ大ヒットしている。
 さて、美術館である。二階堂は文化的事業の一つとして美術館を運営している。特に日本画の収集では有名である。今は、10月5日から12月12日までの横山大観と前田青邨・奥村土牛の秋季特別展が行なわれている。足立美術館でもそうだったが、大観というのは私にとっては猫に小判、豚に真珠である。それよりも土牛の描く植物「枇杷・柿・木蓮・・・」や「ひよ登里」特に「軍鶏」に惹かれる。
 2階の展示室にはこれらの作品に交じって、「鳥獣戯画の複製」が展示されていた。なぜ展示しているのか、その理由は分からない。ところが、何の違和感も感じられないから不思議だ。そうしたところが都会の洗練された美術館にはない良さなのかもしれない。恥ずかしながら、この戯画を観ている時が一番真剣だったかもしれない。

101121 視察研修(ツワブキ)

   
   

 今日(17日)は文化協会の視察研修だった。午前中NHK大分放送局を見学し、別府での昼食をはさんで、午後は二階堂美術館で絵画鑑賞というコースである。
 NHKを終えて別府へ向かう道筋、別大国道の線路沿いの崖に咲く花の黄色い色が鮮やかに目に飛び込んできた。ツワブキである。昔、その色を求めて国東半島の長崎鼻まで出かけたことがある。夏の間、多くの子どもたちで賑わったキャンプ場も冬を前にひっそりとしていた。海の色も鈍色(にびいろ)になり、寒々とした印象を与えるようになった。吹き付ける海風はすでに冬のものであったのを良く覚えている。だからこそ、ツワブキの花の色鮮やかな黄色い色は老いた心にもあたたかい温もりを与えてくれる。
 その時持ち帰って庭に植えたツワブキは、栄養状態がいいのか大木のようになってしまった。ところが、どんなに大きくなっても冷たい海風に耐えて凛と咲いていたあの面影はない。「違(たが)える」という言葉があるが、時を違えるあるいは所を違えるというのがさみしいものです。そして、違えてしまったものへのいたわりの心、慈しみの心を日本人は持っていました。「あはれ蚊」という言葉がそれを象徴しています。

 
 納屋の入り口の戸の下で死んだカマキリの上で、小型のカマキリがじっとしていました。

101119 町内運動会

届きました 困った時の安曇野通信

 

 始めて参加する。一人千円を出すと昼の弁当とビールがつく。まさかビールにつられたわけではないだろうに、どうした心境の変化か自分でも分からない。場所は憩いの家の広場。町内は居住者が増え続けているというのに、こんな狭い場所でどうするんだと心配した。する必要はなかった。9時半からというので5分前に着くと参加者はちらほら。区長の話では今日はいろんなイベントがあってそちらに流れているということだ。そういえば、築城では年に一度の「航空ショー」も開催されていた。
 競技は綱引きと玉入れとピンポンと・・・・。これまで綱を引かせたり、玉を入れさせるばかりだったので、やる方にまわるとこんな単純な競技がこんなに夢中になれるものだとは思わなかった。綱引きのきついこと!こんなにきついものだとは思わなかった。こんなに熱中できるものだとは知らなかった。玉入れ。小学生用の高さのカゴなのにこれはまたなかなか入らない。入らないから意地になる。けっこう汗をかいた。
 ピンポン。10年以上ラケットにも触れていない。そのラケットがいくら探して見つからない。さすがに負けることはなかったが、変則的なラケットさばきに惑わされる。優勝賞品は缶コーヒー一箱。
 夜、右足がおかしい。カクッとして力が入らない。右手の付け根から二の腕にかけてがうずく。参加者の中で私が最高齢だったそうだ。納得したが、唖然としてしまった。(11月14日)

 
 島田公園の紅葉 市内でここが一番きれいだ

101117 打合せという名の飲み会

   

 いつからこの会は始まったのだろう?こうしたことに関しての記憶力は苦手である。記念日はいつ、あの旅行は何年の何月何日だった。ここまではいいのだが、覚えている?とさも得意そうに言うのは、覚えていないこちらを罪人のような目で見るのはやめてくれないか。今、どこをどう歩いているのかも分からなくなるくせに・・・・。
 久住に登るための、つまり、初夏には「ミヤマキリシマ」を、秋には「紅葉」を見るための会だったのが、少しずつ変節してしまった。もう2年間、秋の久住が菊池渓谷に、そして、秋月にと行き先を変えてしまった。理由は高齢化である。今回の幹事である私も当然のように変更した。
 テーマは「太宰府紅葉紀行」とする。都府楼跡から市民の森、観世音寺から戒壇院、天満宮からお石の茶屋に光明禅寺を巡ってまた都府楼に帰る。ゆったり歩いて5時間のコースを作成する。あとは出かける日時を決めるのだが、そのために「打ち合わせという名の飲み会」をすることになっている。場所は「あかとら」という居酒屋。連れ合いお薦めのお店である。
 料理も雰囲気も好評だったのだが、肝心の日時が決まらない。8人の会員の中で勤めているのは一人だけなのに、サークルに旅行にと忙しい人が多い。強制的に決めたのだがそれでも決まったのは11月28日(土)である。いくら温暖化で遅くなっているとはいえ、これではおそらく紅葉は終わっているだろう。名前を紅葉紀行から「歴史紀行」へと変更である。 

101115 石橋美術館 2

     

 バラの花は写真でも分かるとおり時期が過ぎていた。帰ってネットをもう一時調べると、メインイベントは10月16(土)・17日(日)とあった。思い込みである。昔から思い込みの連続だが、この頃それが特に激しくなった。思い込みで思い出した。綾小路公麿のCDの中にあった「40年前、食べてしまい程可愛かった。あの時、食べておけばよかった」というやつである。この頃脈絡もなくいろんなことが連想的に浮かんでくる。
 私以上に彼女の方が写真を撮ることに夢中になっている。私が写真に夢中になると非難するが、自分がそうなった場合は別のようである。そういえば、彼女は30年も「布花」を作り続けている。昨年30周年をやったばかりである。そして、作り続けた花の中でもバラが圧倒的に多い。
 お昼を敷地内の「楽水亭」でとる。季節限定の「バラ御膳」というかわいい名前がついている。窓の外では池の鯉や鴨に餌をやる人が多い。その餌を鳩に混じってカラスが狙う。我が家の周りではカラスは鳩を襲っている。ここでは餌が十分あるためだろう。平和共存である。中国は餌が足りていないのかな。小さな子どもが走り回っている。その子どもたちの「服装」のかわいいこと。まるで、母親のコピーである。

 昼から鳥栖にあるアウトレットに向かう。前回は張り切っていたのに、今回はただただ疲れただけだ。連れ合いも何も買わなかった。珍しいことがあるものだ。どこか悪いのかな?自分でも購買意欲がわかないと不思議がっている。