240101 明けまして

おめでとうございます

昨年の文面は多少は正月らしいものでしたが、今年は一変します
昨年の暮れ、確か次の日には初めての雪になりました
それを予感させる寒さの午後、お寺さんから電話がありました
〇〇さんが亡くなりました
今日がお通夜です 一応お知らせしておきます、と

私より3つ年上で、家も近くだったので幼いころから年の差を超えて仲良しでした
以前書いたような気がするのですが、
私が中学生の頃に高校生だった彼と新天神町の小さな薄暗い
要するに場末のたしか「金星」と名の付いた映画館に連れて行ってもらっていました
厳しい母も彼となら映画代を出してくれました
洋画専門で、二本立てでした
そこで、フランス映画の「現金に手を出すな」を見たような気がします
フランス映画やイタリア映画が全盛の時代です
「鉄道員」もその時かな????

高校3年の時には、彼の家の隣の扇城高校のテニスコートで、
彼の指導(?)の下、生まれて初めてタバコを吸いました
クラクラっと倒れそうになったのを覚えています

そんな彼が亡くなりました
80歳だったそうです
あと、2年です

五日からブログのアドレスが変わります
「https://studio-reve,com/harada/blog/」 です

231225 嵯峨野散策8(天龍寺2中門)

総門からまっすぐ進むと庫裏に至る
その通路の両側には塔頭寺院が並んでいる
左側には「妙智院」「寿寧院」「等観院」「永明院」
右側には「三秀院」「弘源寺」「慈斎院」「松厳寺」と8つを数える
この8つのうち、三秀院と弘源寺の入り口を撮った写真があるのでアップしておきます

総門から数十m進むと中門を迎えてくれ、その左には勅使門が建っている

 

231220 嵯峨野散策7(天龍寺1総門)

この天龍寺は(あとでも書くが)
足利尊氏が御醍醐天皇を弔うために建てたお寺である
というと凄くいい話のように聞こえるが、要は「祟り」を恐れたからである

臨済宗の大本山で、臨済宗といえば習いましたね
「五山制度」です
その臨済宗の五山制度の第一位がこの天龍寺である
ここまでは覚えていましたが、この後はネット学習
別格 ; 南禅寺
一位 ; 天龍寺
二位 ; 相国寺
三位 ; 建仁寺
四位 ; 東福寺
五位 ; 万寿寺

さあ、第一位であり、世界遺産でもある天龍寺の中へ入ってみましょう
総門の左横に巨大な石碑が建っているので見ておきましょう
まあ嫌でも目には入りますけど
それに比べて、総門自体は天龍寺の寺格からすると、
拍子抜けするくらい、小ぶりである

231215 嵯峨野散策6(天龍寺まで3)

竜門橋の少し先で、門が大きく開いていて、中が丸見えです
そして、開いた門の先に花が手向けられた石仏が安置されています
こうした門構えのおうちもこちらではほとんど見ることはありません

おそらく個人宅としか思えないのですが、何の違和感もありません
一つだけ言うと、
石仏がちょっと新しすぎてはいる気はしました
これが中〇だったら笑いものになっていたことでしょう
天龍寺までのほんのわずかな距離の中で、
なんか凄いものを二つも見てしまったような気分になりました
さすが、京都は奥が深い

231210 嵯峨野散策5(天龍寺まで2)

右折すると7分ほどで天龍寺に着きます
その途中で「竜門橋」(←クリック)と書いた立札を見つけました

こういうのは見逃す方なんですが、
その下に(歌詰橋)と書いてあったのに気づいてしまってつい立ち止まってしまいました
西行が(あの西行の話です)この橋のたもとにあった酒屋で、返歌に詰まったところからこの名がついたとか書いています
つまり、言い伝えなんですが本当かどうかは分かりません
しかしこうして立て札として残るところが「京都」なんです
これがなければそんな大層な橋だとは到底思えない地味な橋です
いやおそらく「橋」とも気づかずに通り過ぎていたはずです

231205 嵯峨野散策4(天龍寺まで1)

7時20分の新快速に乗り、京都駅には8時14分に着く
ここで山陰線に乗り換えて、といっても同じ階の32番ホームへ行くだけ
8時27分の普通に乗って、8時49分に嵯峨嵐山駅に到着

娘にナビの使い方を習ったのですが、今一うまく使いこなせない
ネットを調べていたら、【行き方写真付き】JR嵯峨嵐山駅から天龍寺への道順、というものを見つけました
➀南改札口を出たら左へ
➅左に京都銀行が見える交差点を右へ
※「渡月橋」「天龍寺」は右へ、の看板が見える

ここには➀と➅しか書いていませんが、その間には
●南口から出ます。階段を下ります。
●駅前の道を右へ
●約5分程直進します
●もう少し、直進します
と、すべて写真付きで解説してくれています
どんだけ丁寧なのかとあきれてしまいます
好きな人もいるものなんですね
まあ、これに従えば間違えようはありませんが・・・・・

昼から陽気に誘われて米山公園を歩きました
スマホからは、森田童子の「ぼくたちの失敗」が流れてきました
この歌では、必ず「ストーブ代わりの電熱器╱赤く燃えていた」のところでジーンときていました
学生時代、炬燵もなくてほんとうにこの通りをやっていたからです
今日は「あのこは元気かい╱昔の話だね」が堪えました
そんな昔ばなしをこそっとできた友達も亡くなりました
私も78になって3日目です

231201 嵯峨野散策3(ビーナステラス)

食事後、ホテルに行く前に三宮を一望できるところへ連れて行くという
曲がりくねった山道を少し上れば、そこが「ビナステラス」
長崎もそうだったが、三宮も坂が多い
こういった入り組んだ地形を求めて港は発展していったんだろうな

こういったところは若い二人でくればいいんだろうが・・・・
いや、今はもう若い二人だって敬遠すんじゃなかろうか
遠くに見える港の景色は良かった
そうか、夜になれば(←クリック)
もっとロマンチックな場所に変貌するのかも・・・・

5

231125 嵯峨野散策2(聚景園)

11時54分に新神戸に到着 すでに娘が待っていてくれた
なんとまあ、家を出て3時間で神戸です

一度マンションに立ち寄り、孫を拾っランチに連れて行ってくれた
「聚景園」(←クリック)という中華料理屋だが、昼にしては重たい

連れ合いはもう孫に会えただけで胸がいっぱいの様子(?)
孫の破壊力はすさまじい!!